世界史コース概要

世界史コースでは、視野や好奇心を思いっきり広げて、世界のいろいろな地域の、さまざまな時代の歴史を学ぶことを目標にしています。グローバル化する社会の中で、多様な文化的背景をもつ人々と出会い理解し合うためには、相手の文化を尊重しながら、その文化を生み出した歴史的背景を学ぶことが何よりも大事だからです。

それと同時に、ひとりひとりが専門性を高めることも大切にしています。みずからの関心や興味をもとに特定の地域や時代の歴史を深く探究できるよう、バランスよく演習や講義科目が用意されています。

【2年生】 基礎をまなぶ

基礎を身につけることが目標です。必修の世界史演習Ⅰでは、2つないし3つのグループに分かれて、前期と後期にそれぞれ別の教員から指導を受けます。演習では、世界史に関わる日本語文献を読みながら、みんなで討論します。歴史学的なものの見方を実感してもらうことが目的です。もう一つの必修科目である世界史文献講読Ⅰでは、世界史に関わる平易な英文テキストを読むことで、世界史の知識と英文読解能力を高めることをめざします。もちろん、このほかにも世界のさまざまな地域・時代に関する講義科目があり、自由に選ぶことができます。


【3年生】 専門をえらぶ

いよいよ専門を選びます。必修の世界史演習IIでは、自分の興味にしたがって、東アジア史、西アジア史、ヨーロッパ中世史、ヨーロッパ近世史、ヨーロッパ近現代史、アメリカ史の6つの中から所属ゼミを決定します。ゼミには定員がありませんので、自由に選ぶことができますし、複数のゼミを掛け持ちすることもできます。4年次に向けて、それぞれが興味関心のあるテーマを探し、研究に取りかかります。この時期に自分なりの問いを立てるのが大切です。また、世界史文献講読II-1~5を受講することで、英語、中国語、ドイツ語、フランス語などの読解力を高めることもできます。


【4年生】 専門をきわめる

専門をきわめて、研究成果を卒業論文として提出することをめざします。必修の世界史演習IIIでは、2年次、3年次に学んだ知識、語学力を活かし、自分が選んだテーマについての文献・資料を地道に集めながら研究を深めます。そのうえで、成果をゼミで発表し、担当教員や仲間からの意見・質問を生かしながら論文を書いていきます。


世界史コース ゼミ紹介

教員紹介

卒業論文リスト


五味知子ゼミ(東アジア史ゼミ)

東アジア史ゼミは、東アジアや東南アジアの歴史に関心を持つ学生を対象としたゼミです。授業担当者の専門は16世紀後半から20世紀初頭(明代晩期~清代末期)の中国史ですが、受講者の地域・テーマ・時代をそこに限定する必要はありません。自由に選んでもらい、できるかぎり幅広く対応します。

3年ゼミ・4年ゼミは合同で開催します。授業は東アジア史・東南アジア史に関連する文献や史料を読んで、担当者が報告をし、受講者全員でディスカッションする形式でおこないます。発表担当者以外も、毎回の授業で必ず1回は発言してもらいたいと思います。さらに、3年生はレポート作成、4年生は卒業論文作成に取り組み、自分自身の研究テーマを深めていきます。それに関する研究発表も半期に1回程度おこないます。研究発表と質疑応答を通して、発表者の研究に磨きをかけるとともに、広い視野や柔軟な思考力、議論する力も身につけられるようなゼミを目指します。

このほか、東アジア・東南アジアにかかわる展示会や、中華街など中国とかかわりのある場所、中華料理店・韓国料理店・東南アジア料理店などを訪れて、その文化に触れる機会もできるかぎり作りたいと思っています。

上級生によるゼミ紹介

私たち東アジア史ゼミでは、主に中国近現代史に関する書籍をゼミ生で担当箇所を決めて読み進めています。内容を要約して発表し、皆で意見交換や質問をし、さらに先生が解説も付け加えてくださいます。

また、書籍だけでなく学外研修として中国に関する展示の見学や、聖心祭での展示などの授業外の取り組みも行っています。

ゼミ生の中には中国史のみならず、朝鮮史に興味のある方もいます。少人数の和やかな雰囲気で、共に東アジアへの理解を深めてみませんか。

ゼミ活動

学外研修(東洋文庫)
聖心祭の展示(芥川龍之介の中国道中記)

◆◆東アジア史ゼミ(東洋史東方ゼミ)の近年の卒業論文

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※各年度ごとに卒業論文を紹介しています。下記の各年度をクリックすると詳細な内容が表示されます。

■2018年度卒業論文

・2018年12月に提出された論文4篇を執筆者自身が紹介します。配列は時代順です。

・紹介項目:(1)内容をひと言で、(2)主要利用文献1~2点、(3)書き終えての感想。

●網野「始皇帝陵の構造と出土品から見る始皇帝の人物像と死生観」

(1) 始皇帝は、厳格な法治を断行し、焚書坑儒を行ったことで有名である。彼が自身の陵墓として建築した始皇帝陵の出土品や構造、そして兵馬俑について調べ、そこから推測できる始皇帝の人物像やその死生観について記述している。

(2)
今泉恂之介『兵馬俑と始皇帝』、新潮社、1995年。
鶴間和幸『始皇帝陵と兵馬俑』、講談社、2004年。

(3) 始皇帝は政策の厳格さから暴君というイメージがある。しかし、始皇帝の生涯からその陵墓まで調べてみて、厳格な一面と不老不死を追い求めた孤独な一面があることがわかった。始皇帝陵は発掘調査が完了しておらず、始皇帝の遺体も発見されていないため今後の調査で新しい発見があることに期待したいと思った。

●石井「中国の陰宅・陽宅と都市にみる風水思想」

(1)『葬書』からはじまる中国の風水について、墓地風水の説話や城壁の村落、住居などの実例を見ていきながら、風水とはどのようなものなのか、漢民族が風水に対してどのような考え方をしているかを考察した。

(2)聶莉莉著『大地は生きている―中国風水の思想と実践』てらいんく、2000年。
リチャード・クレイトモア著/山田美明訳『風水―気と古代風景学の秘密』創元社、2013年。

(3)住居や庭園、お墓など、普段の何気ない生活の中に風水文化が溶け込んでいることに気づき、風水を研究する以前よりも風水による活動を身近に感じることができた。誰もが必ず願うであろう、「幸福」になるための手段として風水は民族や地域によって形を変えて用いられるものであり、自分個人の問題だけでなく、ときには宗族全体の幸せが掛かってくるからこそ中華圏の人間にとっては非常に重要な項目なのだと思う。

●原田「近代中国における苦力貿易―人身売買と国際移動―」

(1)19世紀以降に中国人を“人”としてではなく安価な労働力である“商品”として輸送していた苦力貿易の特徴を、主に海外での中国人労働者の実態を中国や主な取引先であったアメリカなど各地に焦点をあて考察した。

(2)可児弘明『近代中国の苦力と「豬花」』岩波書店、1979年。
村上衛『海の近代中国―福建人の活動とイギリス・清朝』名古屋大学出版会、2013年。

(3)中国人労働者の扱いが過酷であったことが強く印象に残ったが、その中にも海外移住に夢や希望をもって渡航を試みた人も一部存在したことがわかった。世界を股にかけた苦力貿易の発展が当時の航海ネットワークを拡大させ、現地に中国の脚掛かりを作り、移住が比較的容易になった現在へと繋がっているのではないかと考えた。

●松木「朝鮮の妓生―官妓から時代の寵児へ―」

(1)妓生の起源と歴史的背景を説明してから、近代化と植民地支配によってその社会的立ち位置が官妓から時代の寵児へと変化していく様子を、日本からの影響を含めて取り上げる。

(2)
川村湊『妓生――ものいう花の文化誌』作品社、2001年。
許娟姫「韓国券番における妓生教育――妓生教育の内容と舞踊教育」
『舞踊学』第31号、2008年。

(3)賤民という最も低い身分でありながら、朝鮮王朝に仕える官妓として特権階級に時調や歌舞を披露していた妓生は、朝鮮社会において特殊な存在であった。しかし、その特殊さゆえに、近代化による身分制度廃止は妓生の生計に大きく打撃を与えた。そのような中でも、彼女たちは自らの持つスター性と行動力によって、結婚制度や儒教的な思想に縛られない、新しい「女性の生き方」を発信した。

■2017年度卒業論文

・2017年12月に提出された論文9篇を執筆者自身が紹介します。配列は時代順です。

・紹介項目:(1)内容をひと言で、(2)主要利用文献1~2点、(3)書き終えての感想。

●赤津「幻の満州国からみる日中関係」

(1)日本と中国が深く関わった満洲国を題材にして日中関係を考察した。日本からの視点と中国からの視点、両国の研究文献や史料を用い、日本による満洲国統治に対する日中両国の見方の差異を論じた。

(2)国勢研究所戦後処理問題調査委員会『満洲と残留同胞孤児の記録』国勢研究所、1987年。
姜念東・伊文成・解学詩・呂元明・張輔麟『偽満洲国史』大連出版社、1991年。

(3)日本ではあまり語られることがない歴史だが、日中関係を考えるにあたっては避けることができない歴史であり、日本が中国にしたことを忘れてはいけないと思った。満洲国のあった中国の東北地方では当時の歴史建造物をうまく残し、後世に受け継いでいるが、日本でもより多くの人にそのような事実があったことを認知してほしい。

●秋山「植民地下朝鮮の従軍慰安婦」

(1)慰安婦制度とはどういうものか、なぜ従軍慰安婦のなかに朝鮮人女性が圧倒的に多かったのか、彼女たちはどのような生活を送っていたのかを論じた。

(2)尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』明石書店、2003年。
吉見義明『従軍慰安婦』岩波書店、1995年。

(3)朝鮮人慰安婦の被徴集の背景を当時の経済・社会状況から考察することで、日本の植民地支配が被徴集に大きく関係していることが明らかとなった。現在にまで続く慰安婦問題について今後も注目したいと思う。

●船木「ブルーマー・コスチュームとアメリカ女性」

(1)アメリカの女性ファッションにおいて、ズボンが最初に導入されたとされているブルーマー・コスチュームに着目し、19世紀のアメリカ社会のジェンダー観が女性ファッションにどのような影響を及ぼしていたかという観点から、ブルーマー・コスチュームの誕生と行く末を考察した。

(2)濱田雅子『アメリカ服飾社会史』東京堂出版、2009年。
武田貴子・緒方房子・岩本裕子編『アメリカ・フェミニズムのパイオニアたち―植民地時代から1920年代まで』彩流社、2001年。

(3)ブルーマー・コスチュームに限らず、当時とそれ以前の衣服を見てわかることは、社会の女性に対するイメージがかなり固定されており、その影響がファッションにも表れていたことだ。当時の女性たちは、その状況を打破しようと目に見える形で社会に向けて表現し続け、長い年月をかけて現代のファッションにたどり着いた。何を着るか幅広い選択肢があるということだけでなく、なぜそのようになったのかという背景を知ることで、見え方も変わってくることを改めて思った。

●加藤「中医学とはどのような医学か」

(1)日本の中医学に関する文献では、中医学における治療方法の解説・特徴が主体となっており、中医学の歴史を題材にした本は少ない。本稿では歴史の観点から、中国における中医学はどのような存在なのかを考察した。

(2)朱宗元・趙青樹『陰陽五行学説入門』谷口書店、1990年。
傅維康『中国医学の歴史』東洋学術出版社、1997年。
平馬直樹『中医学の基礎』東洋学術出版社、2009年。

(3)中医学は中国哲学であると同時に医学であり、中国に愛されている伝統文化であるという結論に至った。その歴史と治療効果は、現代でも高く評価されており、現代では西洋医学と融合している。中医学を歴史の面から知ることで、中医学への信頼性が高まった。

●西村「北朝鮮への帰国事業」

(1)1959年から1984年にかけて日本と北朝鮮の赤十字社によって行われた在日朝鮮人とその家族による日本から北朝鮮への集団的な永住帰国もしくは移住にあたる帰国事業がどのように展開し、なぜ行われることになったのかについて考察した。

(2)菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業―「壮大な拉致」か「追放」か』中央公論新社、2009年。
高崎宗司・朴正鎮『帰国運動とは何だったのか―封印された日朝関係史』平凡社、2005年。

(3)帰国事業は日本、北朝鮮だけではなく、韓国、米国、ソ連、赤十字国際委員会などあらゆる諸国、機関が関係し、複雑に展開されたものだということがわかった。当時の機関紙や文書など様々な史料を目にし、要因を多角的に検討できたと思う。

●林「明清宦官の成功と代償」

(1)宦官になることを一種の出世の手段と仮定し、その成功例等を挙げ、考察する。

(2)張仲忱著/岩井茂樹訳『最後の宦官―小徳張―』朝日新聞社、1991年。
田村泰助『宦官―側近政治の構造―〔改版〕』中公新書、2012年。

(3)私はこの論文を書き終え、宦官を性的な差異をもって、異物のように捉えるべきではないと思った。明清時代のほとんどの宦官は貧しい自身や家族の境遇を改善するために去勢という代償を払って努力をした普通の人だったと知った。

●山口「中国における喫茶文化の広まり」

(1)現在数多くの種類があるお茶であるが、そのルーツを辿ると全て中国から始まる。お茶は一体どのように発見され人々に広まり、これほどまでに親しまれるようになったのかを考察した。

(2)布目潮渢『中国喫茶文化史』岩波現代文庫、1995年。
今間智子『中国茶の教科書』誠文堂新光社、2012年。

(3)普段何気なく飲んでいるお茶にはこれほどまでに長い歴史があることが分かり、驚いた。お茶は健康に良いだけでなく美味しさも兼ね備えているからこそ親しまれるようになったのだと思う。そして、自分の好みに合わせて柔軟に対応して淹れることができるため、世界的に広まったのではないだろうか。

●淀「宋家の三姉妹」

(1)「一人は金と、一人は国家と、一人は権力と結婚した」と言われ、人々の記憶に残っている「宋家の三姉妹」のそう宋あい靄れい齢、そう宋けい慶れい齢、そう宋び美れい齢の生涯を第1〜3章で述べ、慶齢を評価し、靄齢・美齢を批判する言葉である「一人は〜」の意味を探り、また、この言葉が彼女たちの人生を物語っているのかを考察した。

(2)NHK取材班『宋姉妹―中国を支配した華麗なる一族―』角川書店、1995年。
久保田博子『宋慶齢―人間愛こそ正義―』汲古書院、2016年。

(3)三姉妹に対する「一人は〜」という言葉は彼女たちの人生の一面を表しているが、この言葉だけでは、靄齢と美齢に対して、金や権力に固執したという印象しか与えず、彼女たちが、自分たちの考えるより良い中国を目指し、活動していた点も評価すべきだと結論づけた。
論文を執筆して、『一人一人の「善」や「正義」が異なること』、『その善・正義が誰かの「悪」になること』を改めて感じ、歴史だけでなく、様々なことに対し、多角的視点を持つことの必要性を再認識した。

●吉川「1975年までのシアヌークとポル・ポト」

(1)本論では、なぜ虐殺を行うような男がカンボジアの政権を握ることになったのかということを中心に置き、ポル・ポトが政権を獲得するまで絶大な権力を握っていたノロドム・シアヌークとポル・ポトの二人の生涯からポル・ポトの政権獲得の理由を見た。

(2)清水一史・田村慶子・横山豪志編著『東南アジア現代政治入門』ミネルヴァ書房、2011年。
フィリップ・ショート著/山形浩生訳『ポル・ポト-ある悪夢の歴史』白水社、2008年。

(3)シアヌークとポル・ポトが生きた時代は、欧米列強や周辺諸国から祖国カンボジアを守らねばならない時代であり、そのためには政治においても軍事においても強い力が必要だった。その結果がポル・ポトの政権だったというのが私の結論だ。また、この卒論を書き終え感じたことは、視点が違えば見え方が違うということだ。

■2016年度卒業論文

・2016年12月に提出された論文8篇を執筆者自身が紹介します。配列は時代順です。

・紹介項目:(1)内容をひと言で、(2)主要利用文献1~2点、(3)書き終えての感想。

●遠藤「毛皮貿易の世界史」

(1)世界商品の一つである「毛皮」をめぐって繰り広げられてきたヒトやモノの動きや、それが歴史にどの様な影響を与えたのかについて述べた。

(2)佐々木史郎『北方から来た交易民―絹と毛皮とサンタン人』(NHKブックス772)、日本放送出版協会、1996年。 木村和男『毛皮交易が創る世界―ハドソン湾からユーラシアへ』岩波書店、2004年。

(3)毛皮がいかに重要な資源であったのかということや、中国が大きな毛皮市場であったこと、毛皮貿易が現在のアメリカとカナダの原型を形作った大きな要因の一つでもあるということなどが分かった。毛皮貿易の歴史を、長いスパンで複数の国の視点からまとめるのは大変であったが、その分、俯瞰的な視点が養えたのではないかと思う。

●藤井「ベトナム帰還兵の戦争神経症」

(1)本論では、ベトナム帰還兵に焦点を当て、「戦争加害者」の視点から戦争の特殊性とベトナム戦争の社会的意義について追究した。また、ベトナム帰還兵の多くが発症した戦争神経症に着目することで、そこから浮き彫りにされた戦争の実態とアメリカ社会が行った戦後対応の問題点を考察した。

(2)白井洋子『ベトナム戦争のアメリカ―もう一つのアメリカ史』刀水書房、2006年。
吉澤南著『ベトナム戦争―民衆にとっての戦場』吉川弘文館、2009年。

(3)結論として、戦争には「人を加害者と被害者両方の立場に立たせる」という特殊性があると考察することができた。そして、ベトナム戦争は、戦後の帰還兵の受容と社会の再構築に社会からの公的支援が不可欠であることを示唆した点で、社会的意義があったと考えられた。この論文を書き終え、私は戦争を経験していない者だからこそ、歴史から戦争を学び考えることが重要だと感じた。

●福澤「清の民衆と義和団事件」

(1)1900年、民衆の反乱が清王朝までも巻き込み、侵略を狙う列強諸国と戦った熱狂的な民衆蜂起として有名である義和団事件。列強諸国の中国進出が、清朝末期の民衆にどの様な影響を与えたのか明らかにすることを目指した上で、義和団とはどのようなものであり、義和団運動がどのように展開していったのかを論じた。

(2)小林一美『義和団戦争と明治国家』汲古書院、1986年。
佐藤公彦『義和団の起源とその運動』研文出版、1999年。

(3)私はこの論文を書き終え、義和団は、祖先信仰や英雄物語などの伝統文化に依拠して民衆の気力を高め、戦うことで、中国北部の外国勢力にも衝撃を与えたことを知った。この義和団事件から、民衆は時代を反映する、歴史を支える担い手であることが分かった。しかし、最終的に弾圧されてしまうことから、世界の中でも、特に中国において、民衆が国家の方向性を決めることは容易ではないことを理解した。

●三浦「歌仔戯の形成と変容―中国大陸と日本との関係から―」

(1)台湾の伝統演劇の1つであり、台湾オペラと言われ、人々に親しまれている歌仔戯について、誕生から現在に至るまでどのように形成され、変化をしていったのか、中国大陸からの演劇技法の伝達と、日本植民地時代に焦点を当て、論じた。

(2)国立編訳館編/蔡易達・永山英樹訳『台湾を知る』雄山閣出版、2000年。
楊馥菱『台湾歌仔戯史』晨星出版、2002年。

(3)歌仔戯は、中国大陸からの演劇の影響を強く受けていることを知った。また日本植民地時代では日本風の劇に編成されるなど、歌仔戯誕生後においても多様な変化を遂げて現代に至っていることも研究を通じて知り、大変興味深く感じた。私は今後歌仔戯の種類や技法を始めとして、さらに詳しく研究したいと思った。

●永崎「清末女性の西洋観」

(1)東アジア世界に西洋の勢力が流入した清末中国において、近代化の様子を女性の視点から見ることを課題とし、新旧文化の入り乱れた社会変化と当時の西洋文化観の一側面を、中国最初の女性による旅行記、単士厘(ゼンシリ)著『癸卯旅行記』から考察した。

(2)銭単士厘著/楊堅編『癸卯旅行記・帰潜記』湖南人民出版社、1981年。
鈴木智夫訳註『癸卯旅行記訳註―銭稲孫の母の見た世界―』汲古書院、2010年。

(3)単の旅行記は、伝統中国と西洋との接触の様子を実際に観察し、西洋からもたらされた文化、思想、技術の受容や、日本の近代化の成果を参考に記されており、清末女性の近代化意識の芽生えの先頭を走っていたと言える。伝統中国社会において教育を受けた単士厘という一人の清末女性の高い考察力や意見に、驚かされると同時に深い感銘を受けた。一方で彼女は、1903年のこの東京からサンクトペテルブルクまでの旅行の各訪問国を、完全な文明国としては評価していない。彼女の西洋観の理想を明確に理解するため、複数の著書にあたるべきことには、引き続き検討の余地がある。

●太田「纏足について」

(1)前近代中国の女性たちが足を縛り小さくした纏足という習俗について、その起源や纏足を施した理由、また廃れた背景を論述した。

(2)高洪興著/鈴木博訳『図説纏足の歴史』原書房、2009年。
呉存存著/鈴木博訳『中国近世の性愛―耽美と逸楽の王国』青土社、2005年。

(3)前近代中国で成立した纏足と呼ばれる習俗は当時の女性の願いが一心に込められたものであった。習俗の誕生も終焉もそれぞれ意味があることがわかった。論文を執筆するにあたり歴史を学ぶ楽しさを改めて実感することができた。

●末次「金官国初代国王妃とインドの関係」

(1)古代朝鮮半島南部に存在した加耶諸国の一つである金官国の初代国王首露王の王妃許黄玉は、インドから嫁いで来たという伝承が13世紀に編纂された三国遺事に記述されているが、史実か史実でないのか自分なりに研究した。

(2)一然著/金思燁訳『完訳:三国遺事』(全)、六興出版、1980年。
高濬煥著/池田菊敏訳『「伽耶」を知れば日本の古代史がわかる』双葉社、1999年。

(3)許黄玉がインドから嫁いだという証拠が不十分であることからこの伝承は史実ではないと結論付けた。天孫降臨した王と神の導きによってインドの聖地から嫁いだ王妃という2人の出自の釣り合いを考慮し、作られた神話であると考えた。
古代の出来事であるため、史料や物証が少なく研究材料となる文献を見つけるのに苦労した。

●烏「内モンゴルの近代学校教育と日本」

(1)20世紀初頭、内モンゴル人自身が学校を開き、日本から教員を招くなどして近代的な学校教育を開始した。その後内モンゴルの学校教育は1930年代に一層普及し、モンゴル人の子供たちの就学率が上がり、女性も近代的な教育を受けるようになった。この過程がどのようなものであったのか、また日本がそれにどう関わったのかを考察した。

(2)内蒙古文史資料委員会編『内蒙古文史資料』第32輯、新華出版社、1988年。

(3)本論において、1900年代から1940年代前半までの内モンゴルにおける近代学校教育の誕生と変容過程を検討し、日本と内モンゴルの深い関わりを明らかにすることができた。自分の民族に関わる歴史を研究して多くの発見があった。

■2015年度卒業論文

・2015年12月に提出された論文5篇を執筆者自身が紹介します。配列は時代順です。

・紹介項目:(1)内容をひと言で、(2)主要利用文献1~2点、(3)書き終えての感想。

●木原「中国近現代の女子教育」

(1)古代から教育上の男女不平等があった中国での女子教育の発展過程を明らかにし、女子教育が中国社会にどのような役割を果たしたのかを論述した。

(2)崔淑芬『中国女子教育史』中国書店、2007年。
佐藤尚子『中国ミッションスクールの研究』龍渓書舎、2010年。

(3)中国における近代女子教育の発展の中で、ミッション系女子教育はその導入者としての役割を果たし、女子教育に対する国民的感覚を呼び覚ます役割を担っていたことがわかった。

●桐ヶ谷「秦の始皇帝と帝国―3つの観点から読み解く―」

(1)中国の長い歴史の中で、初めての帝国を築き上げ、初めての皇帝を名乗った始皇帝。彼がどのような人物であり、どのような想いを持って秦帝国を築き上げたのかを理解することを目的とし、始皇帝の行った政策、陪葬坑として残されている兵馬俑坑、不老不死の死生観の3つの観点から、それを読み解き、考えをまとめて論じたものである。

(2)NHK取材班『NHKスペシャル―始皇帝』、日本放送出版協会、1994年。
西嶋定生『西嶋定生東アジア史論集』第2巻(秦漢帝国の時代)、岩波書店、2002年。

(3)私はこの論文を書き終え、始皇帝の想いを理解する鍵は、彼の最大の特徴である人間性にあると考えるようになった。始皇帝に対する評価がとりわけ良いものではないにもかかわらず、彼が単なる「絶対的権力者」として語られることが少ないのは、民衆と帝国への想いが存在し、人間としての強さと弱さの両方が見え隠れしているためではないかと理解したためである。国は違えど、彼のただならぬ強い想いを感じると同時に、史料から読み解く歴史の楽しさも再確認することができた。

●山田「朝鮮王朝時代における韓国食文化と儒教―『回婚禮帖』を例に―」

(1)儒教国家である韓国の食文化、特に儀礼食に焦点を当てることで、朝鮮王朝時代における韓国食文化に、古くから儒教が根付いていた事実を明らかにしようと試みた。その儀礼の具体例として、回婚礼を描写した「回婚禮帖」を取りあげ、韓国における儀礼とその食事に、儒教の要素が顕著に表れていたことを述べた。

(2)林在圭「韓国の祖先祭祀における儀礼食の特徴と共食―忠清南道一両班村落の事例を中心に―」『静岡文化芸術大学研究紀要』vol.12、2011年。
石川県立歴史博物館(編)『朝鮮王朝―宴と儀礼の世界』、石川県立歴史博物館、2015年。

(3)韓国の食卓を見ていくと、孝の精神をはじめ、男女別及び世代別に、食事の場所や食卓の種類を明確に区別し、各料理には、陰陽五行説や医食同源を反映させる、といった儒教の概念が食文化に反映されてきた事実を知ることができた。 また儀礼の中でも、特に重要視されていた回婚礼に焦点を当てることで、儀礼というのが、目上の者に孝を示し、親族間のつながりを維持強化する、儒教的な重要行事であり、それに伴う食事にも、儒教の要素が顕著に表れていたことが分かり、興味深かった。

■2014年度卒業論文

・2014年12月に提出された論文5篇を執筆者自身が紹介します。配列は時代順です。

・紹介項目:(1)内容をひと言で、(2)主要利用文献1~2点、(3)書き終えての感想。

●木田「1720年代における清朝とチベットの歴史関係」

(1)1720年代における清朝とチベットの歴史関係を、理念と実態の両側面から考察した。

(2)石濱裕美子『チベット仏教の歴史的研究』東方書店、2001年。 柳静我「『駐蔵大臣』派遣前夜における清朝の対チベット政策―1720~1727年代を中心に―」『史学雑誌』133編12号、2004年12月。

(3)現代中国と結びつくテーマとして、清朝とチベットの歴史関係に興味を持った。18世紀初頭は、特にダライラマの権威と共にあることが清朝皇帝の権力の正当性を支えることに結びついていた。両者の権威と権力が相互依存の関係を持ち、互いの内政状況に大きく影響を与えていた点は、大変興味深かった。

●藤本「纏足の歴史とその終焉」

(1)中国で千年間続いた纏足習俗について、その歴史的背景や衰退の過程を読み解き、最終的に纏足が終わった要因や、纏足がどのような意味を持っていたのかを考察した。

(2)高洪興著/鈴木博訳『図説 纏足の歴史』原書房、2009年。
夏暁虹著/清水賢一郎・星野幸代訳『纏足をほどいた女たち』朝日新聞社、1998年。

(3)纏足の風習が連綿と続いたのは、当時の社会の美意識と社会的風潮が大きく関係していた。纏足に対する見方は、19世紀の終わり頃に西洋の近代的な思想が中国に入ったことで変化した。清末に起こった反纏足運動は、女性が自立の道を歩んでいくきっかけとして大きな意味を持ったと感じた。

●掛川「清朝末期知識人の実態」

(1)何故清朝は日本と異なり近代化が失敗に終わったのかについて、当時の知識人の思想の変遷から紐解いていく。

(2)小野川秀美『清末政治思想研究』みすず書房、1969年。
佐々木揚『清末中国における日本観と西洋観』東京大学出版会、2000年。

(3)当時の清王朝は科学者など理系の人材を積極的に登用せず、近代化が遅れたことはとても興味深い。一方で現在の中国の官僚は理系の人材が多く、経済発展が進んでいることを学んだ。

●山木「韓国人の愛国心の形成」

(1) 韓国人の愛国心の形成について、第1章でまず愛国心とは何か、第2章で韓国人の愛国心の要因について、第3章で戦後の諸問題と愛国心について論じた。

(2)高崎宗司『反日感情―韓国・朝鮮人と日本人』講談社現代新書、1993年。
鄭大均『日本(イルボン)のイメージ―韓国人の日本観』中公新書、1998年。

(3)今の韓国人の愛国心の根元には35年間の日本統治時代と3年間同民族が戦った朝鮮戦争が大きく関係していると感じた。これから時間が経ち、当時生きていた人もいなくなるにつれ、韓国人の愛国心とりわけ反日感情がどのように変わっていくのか興味深い。

●河野「中国戸籍制度が生む都市と農村の格差」

(1)中国の戸籍制度が生む都市と農村の格差とその格差を縮めようとする最近の改革について論じた。

(2)星野真「都市農村間所得格差の拡大」『アジ研ワールド・トレンド』第18巻第2号、2012年2月。
鎌田文彦「中国における戸籍制度改革の動向―農民労働者の待遇改善に向けて―」『レファレンス』710号、2010年3月。

(3)好景気で裕福なイメージがある中国だが、深刻な貧富の格差がある。その温床となっているのが戸籍制度であることがわかった。戸籍制度が生む都市の人々と農村の人々の差は、社会保障や給与、退職金など幅広く、問題視されている。中国という大国は、農村戸籍と都市戸籍によって二元社会構造となってしまっていることを知った。今後の中国の戸籍制度改革や、それに伴う変化に注目したい。

■2013年度卒業論文

2013年12月に提出された論文5篇を執筆者自身が紹介します。配列は時代順です。

・紹介項目:(1)内容をひと言で、(2)主要利用文献1~2点、(3)書き終えての感想。

●川島「中国人富裕層の変遷」

(1)古代から現代までの「中国人富裕層」の歴史的背景や消費行動を検証し、共通した特徴を抽出する。

(2)加藤典子「英語・中国語・日本語の“face”(面子)の違い」『東京工芸大学工学部紀要人文・社会編』第23号、2000年。 徐向東『中国で売れる会社は世界で売れる!』、徳間書店、2008年。

(3)論文制作以前は中国人富裕層に対して「お金を湯水のごとく使う」イメージしか持つことができなかったが、研究することによって、面子や家族を大切にした上でお金を使う人々であることがわかった。また、中国社会が現在抱える様々な問題に対しても理解を深めることができてよかった。

●木村「中国における茶の普及と喫茶文化」

(1)人々の日常生活に溶け込んでいる茶について、発祥地である中国を中心に茶が広く飲用されるようになった唐代に焦点をあて、起源、利用法、文化、現在までの普及を論じる。

(2)孔令敬『中国茶・五感の世界』、日本放送協会、2002年。
布目潮渢『茶経 全注訳』、講談社、2012年。

(3)唐代、宋代の喫茶は、親しい人同士で時間の経過を楽しむ、余暇を過ごす、あるいは茶で客をもてなすという利用法が現代と変わらない。その発祥と発展を調査したことで、茶がただ嗜好品として楽しまれるだけでなく、歴代の内乱や外敵の侵入にも拘わらず、常に進歩をめざし、衰退することのない文化として現在まで中国社会に根付いているのだと実感した。

●石谷「フィリピンにおける華人・華僑」

(1)現存する文献資料の整理、分析、考察を行い、他国との比較を含め、フィリピンにおける華人・華僑の特徴を論じた。

(2)菅谷成子「スペイン領フィリピンにおける『中国人』:"Sangley,""Mestizo"および"Indio"のあいだ」『東南アジア研究』第43巻4号、2006年3月。 小林正典「フィリピンの中国系移民と中国との関係:福建から香港ルートへの傾斜と教育・言語の問題を中心に」『和光大学現代人間学部紀要』第6号、2013年3月。

(3)フィリピン華人・華僑に関して以前から興味があったので、今回、華人・華僑の歴史や、民族言語、文化伝統の維持・継承を目的に彼らが行ってきた教育について探求することができてよかった。その中で、内在する課題と今後の方向性を考察したが、私は今後、実際にフィリピンに行き、華人・華僑の実態を把握し、もっと詳しく研究したいと思った。

●岡田「清朝末期の陝西と甘粛におけるイスラーム教徒の蜂起について」

(1)清朝末期の西北の回民蜂起は聖戦といえるのか、また差別ゆえのものなのかなどについて、背景や経過を追って考察する。

(2)中田吉信「同治年間の陝甘における回乱」『近代中国研究』第3集、東京大学出版会、1959年8月。濱田正美「『塩の義務』と『聖戦』との間で」『東洋史研究』第52巻2号、1993年9月。

(3)自身と異なる宗教、時代、国の人びとについて考え、史学を専攻して学びとった意見を結論とする事が出来たのでよかった。

●倉持「梁啓超の思想の変遷―変法運動から『新民叢報』発行期間を中心に―」

(1)清末変法運動から日本亡命期における梁啓超の行動や著作を通じて、彼の思想の変遷を論じた。

(2)西順蔵・島田虔次編『清末民国初政治評論集』、平凡社、1971年。 丁文江・趙豊田編/島田虔次編訳『梁啓超年譜長編』第1、2巻、岩波書店、2004年9月。

(3)梁啓超は数年という短期間で、何度も思想を転換させていたので、常に新しい知識を吸収する人物だということが分かった。彼が書いた著作によって、当時の中国知識人は自国を客観的に見ることができたのではないかと思った。 しかし、卒論執筆時には、膨大な梁啓超の著作から自分が知りたい文章を見つけることに苦労した。

■2012年度卒業論文

*2012年12月に提出された論文4篇を執筆者自身が紹介します。配列は時代順です。

*紹介項目:(1)内容をひと言で、(2)主要利用文献1~2点、(3)書き終えての感想。

●髙橋「中国青花にみる東西文化交流」

(1)「青花」とは、白磁に青の絵付けが施されたやきもので、日本では「染付」と呼ばれる。青花は「海の道」を渡って世界中へ運ばれた。元、明、清の青花をみることで、当時の社会状況や歴史的背景を明らかにし、東西交流の様子をひもといていくことを目的とした。

(2)三杉隆敏『「元の染付」海を渡る:世界に拡がる焼物文化』、農山漁村文化協会、2004年。
弓場紀知『青花の道:中国陶磁器が語る東西交流』、日本放送出版協会、2008年。

(3)青花は現代にも通ずる時空を超えたやきものである。その生命力の強さは、「用の美」(使用性と芸術性)にあると感じた。初めは気づかなかった青花の美しさに、いつの間にか引き込まれていた。図版作成は思った以上に大変な作業であったが、達成感は大きかった。今後、「シルクロード」に劣らぬ「セラミックロード」の名が、世に普及してほしいと願う。

●井嶋「モンゴルにおける馬の文化的位置」

(1)モンゴルの人々は馬との歴史が長く、現在でも関わりが深い。そのモンゴルの馬の文化を、「スーホの白い馬」や馬頭琴にも触れながら考察した。

(2)小長谷有紀『モンゴル草原の生活世界』、朝日新聞社、1996年。
長沢孝司・尾崎孝宏『モンゴル遊牧社会と馬文化』、日本経済評論社、2008年。

(3)博物館学の授業で「馬」のことに触れて以来、卒業論文で書こうと決めていた。モンゴル人にとって、馬は交通手段であるだけでなく、家族として共に生きる幸福のシンボルである。馬を大切にするモンゴル民族の伝統が途絶えないことを望む一方で、私たちも馬との歴史や絆を大切にしていかなければならないと思った。

●伊藤「中国紡織業と在華紡」

(1)小論は、第一次世界大戦期から第二次世界大戦終了までのわずか数十年の間に、在華紡が中国でどのように活動し、どのような影響を中国や日本に与えたのかを明らかにすることを目的としたものである。

(2)狭間直樹・岩井茂樹・森時彦・川井悟『データで見る中国近代史』、有斐閣、1996年。
富澤芳亜・久保亨・萩原充編『近代中国を生きた日系企業』、大阪大学出版会、2011年。

(3)在華紡について論文や社史を使って調べていくなかで、過去の企業の海外進出や戦前から現在まで多くの企業が中国で活躍していることがわかり、現在の日本社会と関連させて考えることができたので大変楽しかった。

●栁川「青幇と上海」

(1)中国の秘密結社の中でも最も発展した青幇について、その発展には上海と言う都市が関係していると考え、上海と青幇の関係、また青幇が何故他の秘密結社よりも勢力を伸ばしたのかを明らかにした。

(2)酒井忠夫『中国幇会の研究 青幇篇』、国書刊行会、1997年。

(3)青幇は上海の近代化につれて裏社会の中心となり、租界当局や国民党政府とのつながりを持つ巨大な組織となった。しかし共産党が政権を握ると、最も有力な頭領であった杜月笙も、上海から香港に逃げた。その死後墓は台北に建てられ、遺骨も上海に戻ることはできていない。本稿では青幇の繁栄には租界という特殊な環境が大きく影響していたと結論付けた。青幇の最盛期である1930年代の上海は「魔都」とも呼ばれ、異国情緒漂う都市であった。上海の魔の部分の一因であった青幇について取り組んだことは、当時の上海を知るうえで有意義であったと思う。

●吉村「中国マス・メディアが国民に与える影響」

(1)中国のマス・メディアが報道する内容の信憑性、そして中国のマス・メディアが中国国民に与える影響を、それぞれ歴史的背景に沿って研究した。

(2)朱家麟『現代中国のジャーナリズム』、田畑書店、1995年。

(3)言論、出版の規制が厳しく、自分の意見も思うように言えなかった中国の国民だったが、インターネットの普及により、国民が匿名で政府に対して意見を言えるようになったため、国民の力が増したように感じた。

●金安「現代中国における沿岸部と内陸部の教育格差」

(1)中国の農村部と都市部の教育格差について、現実を踏まえた上で教育格差の要因、そして教育格差が引き起こす未来について述べた。

(2)南亮進・牧野文夫・羅歓鎮『中国の教育と経済発展』、東洋経済新報社、2008年。

(3)急速な経済発展を遂げる中国の格差問題の内情を知ったことで、国における政府の役割の重要性に気付いた。中国は少しずつであるが、変化を遂げてきている。農村に暮らす子供達のためにも一日も早く格差を解決して欲しいと願っている。

■2011年度卒業論文

京劇「大閙天宮」(孫悟空もの)

*2011年12月に提出された論文4篇を執筆者自身が紹介します。配列は時代順です。

*紹介項目:(1)内容をひと言で、(2)主要利用文献1~2点、(3)書き終えての感想。

●倉林「ソグド人と中華王朝」

(1)紀元1千年紀のシルクロード貿易を支えた中央アジアのオアシスの民、ソグド人。彼らがどのような民族であったのか、ササン朝や東ローマ帝国、そして唐朝との交わりから探る。

(2)荒川正晴『ユーラシアの交通・交易と唐帝国』、名古屋大学出版会、2010年。
森部豊『ソグド人の東方活動と東ユーラシア世界の歴史的瞬間』、関西大学出版部、2010年

(3)中央アジアのオアシスの民であったソグド人が、民族や国を問わず移動し、臨機応変に商人から軍人へと転身する様子は非常に興味深い。彼らをテーマとすることで、国家や民族主義といった概念が生まれる以前の古代だからこそ可能な人々の移動、交流の様子を垣間見ることが出来たと思う。

●猪坂「フィリピン格差社会の歴史的起源」

(1)スペインとアメリカによる植民地支配がどういった過程で現代フィリピンの格差社会を生み出したのかを当時の経済変遷と砂糖アシエンダ(大農場)の実態を考察することで明らかにし、そして結びでフィリピンにおいて格差社会が独立後の現在においてもなくならない理由を述べた。

(2)永野善子『砂糖アシエンダと貧困―フィリピン・ネグロス島小史』、勁草書房、1990年。 Larkin, John A., Sugar and Origins of Modern Philippine Society, University of California Press, 1993.

(3)フィリピンを研究している日本人は少ないため、資料もあまり多くなく、研究は大変であったが、論文作成にあたって、歴史的観点から現代問題を考えることの大切さを学んだ。

●王「現代中国の格差社会」

(1)中国は1978年の改革開放政策実施以降、急速に豊かになった。しかしその反面で社会にさまざまな格差をもたらした。そうした社会格差の実態と原因について検討した。

(2)園田茂人『不平等国家―中国』、中公新書、2008年。    薛進軍・園田正・荒山裕行『中国の不平等』、日本評論社、2008年。

(3)資料、論文に触れることにより、中国格差社会の現状を把握することができた。とても研究する価値があるテーマだと思う。これから中国政府が格差問題を解決するためにどのような政策を取るのかに関心を持っている。

■2009年度卒業論文

*2009年12月に提出された論文6篇を執筆者自身が紹介します。配列は時代順です。

*紹介項目:(1)内容をひと言で、(2)主要利用文献1~2点、(3)書き終えての感想。

●木村(真)「死生観からみる古代エジプト人の理想の暮らし」

(1)古代エジプト人は現世で生きているのは、死んでからの来世の準備であるとさえ考えていた。古代エジプト人の「死」は永遠の生という死生観を踏まえた上で、古代エジプト人が望んでいた理想の世界とはいかなるものであったのかを論じた。

(2)片岸直美・畑守泰子・村治笙子『ナイルに生きる人びと』、山川出版社、1997年。
吉村作治『古代エジプトを知る辞典』、東京堂出版、2005年。

(3)砂漠にそびえるピラミッドやスフィンクス、ツタンカーメン黄金のマスク、ミイラ等私たちを未だに惹きつける数々の遺産を残した古代エジプト人とは、どのような人々であったのかを知りたいと思ったのが、このテーマを選んだきっかけである。また、古代エジプト人が望んでいた理想の世界とは、自然のサイクルに身を委ねた非常に素朴な生活であったことが印象的であった。

●木村(裕)「始皇帝はなぜ兵馬俑を作ったのか」

(1)兵馬俑坑とは、中国の陝西省臨潼県の始皇帝陵内にある、陶で出来た多数の兵士と軍馬を地中に整然と配置した遺構のことで、始皇帝陵を守る等身大の地下軍団である。
私は、兵馬俑坑や始皇帝を研究するうちに、なぜ始皇帝は兵馬俑を作ったのだろうかという疑問を抱き、それを本論文のテーマとして様々な角度から考察した。
私の仮説は、始皇帝が地下をすみかとすることで自分が滅ぼした国々の死者の霊魂が攻めて来る備えとして兵馬俑を作ったのではないかというものである。

(2)樋口隆康『始皇帝を掘る』、学生社、1996年。

   司馬遷『史記』(第1冊)、中華書局、1959年。

(3)私は、テーマに沿って史料を集めて早い段階から作業を始めていたが、史料が膨大な為、又、原文(中国語)等もあり、それを解読してまとめ上げていく作業が大変だった。
私が本論文を執筆する上で苦労した事は、諸説を比較して、どれが一番真実に近いのかを自分の仮説にする事が難しかった事や原文(中国語)を訳しながら内容を把握するのに時間を多く費やした事、更に、研究をやればやるほど書きたい事が多くなり、テーマに沿った内容にまとめ上げるのがとても大変だった事である。
私は、今後、中国に行き、兵馬俑坑や始皇帝陵を実際に観て、もっと詳しく研究出来たら良いと思う。

●北「日唐官僚制の相違点」

(1)唐代の官僚制の特徴を探るため、中国と中国の官僚制を模倣して成立した日本の官僚制との比較を行い、そこから唐独自の制度を見出すことを目的とした。

(2)歐陽修宗祁撰『新唐書』(第1冊、紀)、中華書局版、1975年。
池田温等『世界歴史大系中国史2三国~唐』、山川出版社、1996年。

(3)官僚制度というものは、一朝で出来上がったものではなく、過去の王朝の制度の踏襲や当時の政治的な思惑などで成立していったことがわかった。また日本も中国の制度をただ模倣したのではなく、自国に合う制度に変化させていた。官僚制について学ぶことで制度についてだけではなく、当時の国の様子・特徴を垣間見ることもできたと思う。

●三好「日本における未来の東洋医学」

(1)日本では東洋医学と言う場合、中国医学の代名詞のように言われているが、アラビア医学、インド医学、チベット医学など、実はもっと多彩なキャラクターを持っているのだ。このように奥深い東洋医学にスポットをあてた。前半では中国医学とインド医学の、特徴、診断方法などの基本的な知識をまとめて、歴史に基づき検証した。後半は、現在の日本、または世界で、どのようにして東洋医学が成り立っているのか、またこれからの東洋医学のありかたについて論じた。

(2)根本幸夫『やさしくわかる東洋医学』、かんき出版、2005年。
山田慶児『中国医学はいかにつくられたか』、岩波新書、1999年。

(3)漢方、針を使った治療が存在することは随分昔から知っていた。しかしそれらが東洋医学をもとに発展した治療であることは知らなかった。それ以前に、東洋医学という言葉すら、正確には知らなかった。東洋医学との出会いが文献を通じてではなく、自分の体で直接に体験したということが、追求するきっかけとなり、幸運であったと思う。

●大場「シンガポールの発展とアジア的価値」

(1)シンガポールの独立後30年に焦点を置き、首相を務めたリー・クアンユーによる政策がどのように国家の発展に影響してきたのかを探った。また、リー・クアンユーの提唱した「アジア的価値」論は、シンガポールではどのように作用してきたのかも検証した。

(2)杉谷滋編著、『シンガポール』、関西学院大学産研叢書、1999年。
Vasil, Raj, Asianizing Singapore: The Pap's Management of Ethnicity, Institute of Southeast Asian Studies, 1995.

(3)シンガポールの経済史は大変興味深く、経済学についてより興味を持つきっかけとなった。また、アジア的価値論については以前から興味があり、今回様々な資料や論文に触れることができ、とても楽しかった。

●井町「日韓の教科書制度について―教科書問題解決への道を探して―」

(1)韓国と日本の教科書制度それぞれの特徴をあげながら、教科書問題の解決へ向けて、それぞれの教科書をどのように改善すべきかを探った。

(2)西尾幹二『歴史教科書「12の新提案」迫りくる「全体主義」の跫音』小学館文庫、2001年。
井上秀雄『全訳世界の歴史教科書シリーズ31・韓国』帝国書院、1983年。

(3)教科書は学校教育の場で使用されるものであり、これからの時代を担っていく日韓の学生たちが、正しい歴史認識を持つことができるよう、今後も両国が教科書制度について見直す必要があるのではないだろうか。特に日本の検定制度については、韓国の人々が過去にどのような思いをしてきたのかということも、きちんと理解できるような教科書を日本の学校教育の場で多く使用できるようにさらに見直すべきであると感じた。


齋藤久美子ゼミ(西アジア史ゼミ)

西アジア史ゼミは、基本的にインドや中央アジアから北アフリカまでを対象としますが、イスラーム支配下のイベリア半島やオスマン帝国治下のバルカンも含まれます。

演習では、日本と中東の関係史をふくむ、中東やイスラームの歴史について広範に学ぶことができるテキストを取り上げます。毎回担当者を決めて報告してもらい、それについて受講者全員で議論します。さらに、3年生にはそれぞれの関心のあるテーマで研究発表を、4年生には卒業論文の中間報告をしてもらいます。

演習担当者の専門は16世紀から17世紀のオスマン帝国史ですが、受講者が卒業論文のテーマを選ぶにあたって地域や時代の制限はなく、それぞれの関心にそって自由に選んでもらいます。

このほか、西アジアに関わる展覧会や宗教施設(モスクやシナゴーグ)を訪れることで、西アジアの社会と文化に触れる機会を作りたいと思っています。

上級生によるゼミ紹介

Sさん

Oさん

先生は、東京近郊のモスクなどイスラム関連の情報から、オスマン帝国をはじめとする西アジアの歴史まで、幅広い情報を提示してくださるので、興味がつきません。卒論の準備に際しても、基本的な文献の検索の仕方から具体的な内容構成に加え、期日の目標も示してくださるので、自分のすべきことが明確になり、余裕と自信を持って進められます。授業中に話してくださるトルコ滞在時のお話もとても楽しいです。

Nさん

西アジア史ゼミでは、イスラームの文化から、現在も混乱が続く聖地イェルサレムに関わる問題まで、幅広い分野について勉強するため、自分なりの興味・関心を持ちやすいです。授業では関連する文献や現地の写真を見ることも多く、学習を深めるための環境が整っています。

西アジア史ゼミの近年の卒業論文

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2017年度

「モハンマド・レザーシャーの農地改革とイラン農村・社会の変化」
イランでは1963年より近代化政策である白色革命が国王によって行われ、これはイランの社会・経済に大きな変化をもたらした。本論文では中心的な政策であった農地改革に焦点を当て、19世紀の地主制時代から農地改革を経た1980年代のイラン・イスラム革命後までの一連の流れを辿ることで、農地改革の性格やイランの農村・農民の生活、ひいては後のイラン社会にいかなる影響を与えたのかを考察した。

2016年度

『イラン革命の原因論―パフラヴィー王政と国際関係を中心に―』
この論文では、イラン革命(1979)がなぜ起こり得たのかを、パフラヴィー朝(1925-1979)の内政と外交に焦点を当てながら論じた。革命が起こった原因としては、政策の失敗による市民の困窮、シャー(国王)の独裁体制や対米依存への反発、宗教勢力の影響力などが考えられる。特に、革命後にホメイニーを中心としてイスラーム共和制へと移行したことからもわかるように、宗教勢力の存在感は大きい。他方で、パフラヴィー王政の近代化政策が現在のイランの礎を作り出したことも否定できないだろう。
『イラクにおけるクルド自治要求運動とムスタファー・バールザーニー』
この論文では、1970年代半ばまでイラクのクルド民族主義運動の中心的な役割を担っていたムスタファー・バールザーニー(Mustafa Barzani)に焦点を当て、イラク建国から1970年代までの自治要求運動の展開過程をたどることをめざした。とくに、バールザーニーがなぜ運動の中心にいたのか、また、彼らの根強い運動がどのような経緯をたどって1970年代半ばに挫折を迎えることになったのかを検討した。

2015年度

「シオニストとナチスの関係-ハーヴァラ協定をめぐって-」
第一次世界大戦後にパレスチナがイギリス委任統治下に置かれるなか、離散ユダヤ人をパレスチナに集めたいシオニストと、ドイツからユダヤ人を追い出したいナチスの利害が一致し、両者が締結したのがハーヴァラ協定であった。この論文では、両者がどのような経緯で協定を結んだのか、また、協定がパレスチナ社会にどのような影響を与えたのかを検討した。
「イスラエル建国以前と以後のエルサレムの変容」
3000年にわたる歴史の中で、エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大宗教の聖地へと成長していった。エルサレムの誕生から説き起こして三大宗教の聖地となった背景を明らかにしたうえで、多数の宗教が共存していたエルサレムがイスラエルの建国によってどのように変化していったのか考察した。
「スルタン・ハサン・マドラサからたどるワクフ制度の社会的役割」
イスラーム社会において、社会資本の形成や整備、社会福祉の役割を担ったのが、ワクフ制度である。本論文では、ワクフ制度と切っても切り離せない関係にあったマドラサ(イスラム学院)に着目し、とくにマムルーク朝時代(1250-1517)のカイロにおける最大級のマドラサであったスルタン・ハサン・マドラサを題材に、ワクフ制度がイスラーム社会で果たした社会的役割を考察した。
「ハーヴェイ・ミルクとゲイ解放運動-アメリカ合衆国においてマイノリティが生きるということ-」
ゲイ解放運動をとりあげ、とくに、その中核を担った人物の1人ハーヴェイ・ミルクの人生を社会の動きと関連づけながら論じた。ミルクが様々な活動を経て、ゲイの活動家となり、さらにサンフランシスコの市政執行委員となってから暗殺されるまでをたどることで、ミルクがゲイ解放運動で担った役割と功績を検証した。

2014年度

「イランにおけるイスラーム体制の確立と統治の正当性について」
イスラム教シーア派を国教とし、イスラーム法学者(ウラマー)が統治するイランの現在の体制は、20世紀における民衆運動と79年のイラン革命を経て確立していく。しかしこうして確立されたイスラーム体制は、その統治の正当性を疑問視されることもあった。現在の体制の正当性について歴史的なウラマーの役割に触れながら論じた。

印出忠夫ゼミ(ヨーロッパ中世史ゼミ)

このゼミでは、中世ヨーロッパの歴史を勉強しています。

高校の教科書では中世の話題として「十字軍」、「中世都市」、「百年戦争」などが取り上げられますが、大学でははるかに多様な話題を取り扱います。
私たちがヨーロッパを旅行すると、教会やお城など中世に作られた多くのモニュメントがありますし、議会・大学など中世に起源を持つ制度も多いです。ヨーロッパの文明や社会の基礎を作ったのが、正に中世なのです。
ゼミでは、新しい知識の扉を開く面白い文献を皆で読みます。また各自が自分の興味を抱くテーマについて研究報告・質疑応答する時間を持ちます。自分の研究成果をプレゼンテーションし、議論する力が楽しみながら身につきます。

【 使用テキスト 】

堀越宏一、甚野尚志編『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』ミネルヴァ書房, 2013など

上級生によるゼミ紹介

学期の前半では、英語や日本語の文献を毎週少しずつ読み、ヨーロッパ中世史全般の知識を深めていきます。文献を読む力が鍛えられ、知識も得ることができる一石二鳥の時間です。
学期の最後には、それぞれが興味を持ったテーマについての研究発表を行い、全員で質問や意見の交換をします。発表をすることで、一人では思い至らなかった点や、見落としていた点への指摘を貰うことができます。
文化や生活、社会制度や国家、歴史上の人物について、などゼミ生は様々な研究テーマを持っていますので、発表を聴いていくことで、自然と様々な分野の知識を手に入れることも可能です。
また、授業外では、前期と後期に一度ずつ、交流を深めるための会を開いています。
印出ゼミは、少人数でしっかりサポートして頂きつつ、興味関心の近いゼミ生たちと自分の研究を進めることができる場所です。


大西吉之ゼミ(ヨーロッパ近世史ゼミ)

指導者の専門は近世オランダ史ですが、ゼミでは広くヨーロッパの近世、近代史からテーマを選んでおり、現在、ゼミ生は奴隷貿易とその廃止に関するテキストに取り組んでいます。基本はテキストの内容紹介を分担して行うことです。レジュメの作成や発表を行い、また、お互いに助言したり、質疑応答を行ったりして徐々に経験を積み重ねていきます。それと同時に、学生が文献の読み方、扱い方、各種データの利用法にも習熟していけるよう心がけています。

卒業論文のテーマは基本、自由です。中間発表や個別相談を通じて研究とはどのような作業なのかを理解しながら、アカデミック・ライティング、情報の収集や選別、分析力、社会に対する広い視野や洞察力など社会人に必要なスキルと実力を身につけてもらいたいと思います。

このほか、美術館巡りや映画鑑賞など、可能な限りオランダの人や文化に触れる機会を設けたいですね。日本にオランダ料理店がほとんどないのが残念です。

上級生によるゼミ紹介

こんにちは!ヨーロッパ近世史ゼミでは、大西先生のご指導の下、日々楽しくゼミを行っております。

三年次は、文献やデータベースを用いて、大西洋奴隷貿易について調査や発表を行いました。四年次は、『フランダースの犬』や『アルプスの少女ハイジ』などのアニメや『アバター』などの映画を通じて、物語の歴史的背景を探り、発表を行っています。

発表時には自ら資料や原稿を作成する必要がありますが、発表後は、先生や他のゼミ生の方から丁寧なフィードバックがいただけるため、自分では気づけない発表の長所や改善点、アドバイスを数多く得ることができます。そのため、1年間を通じて歴史の知識はもちろんのこと、プレゼン力や分析力など社会人になってからも役立つスキルを身に付けることができます!

発表に不慣れでも、先生が丁寧に指導してくださるため、全く心配いりません。少人数で学年関係なく和気あいあいとした雰囲気の下、ヨーロッパ史を学んでいきましょう!


桑名映子ゼミ(ヨーロッパ近現代史ゼミ)

桑名ゼミの風景その1

このゼミでは、ドイツとハプスブルク帝国を中心に、イギリスやフランス、ロシア、東欧まで含めた近現代ヨーロッパに関するテキストを読み、発表とディスカッションをおこなっています。テーマは毎年異なりますが、これまでの例では、「宗教」「女性」「外交」「記憶と歴史認識」「ホロコースト」「ナショナリズム」などに関する歴史書や論文集をテキストとして使用しました。

ゼミでは専門的な文献を読んで正確に理解する能力を養うことはもちろんですが、理解した内容をわかりやすくまとめて発表する、プレゼンテーション能力を磨くことにも特に力を入れています。

発表の担当者以外でも、参加者は毎回必ず一回以上発言するというルールがあります。といっても発言を強制するわけではなく、話しやすい雰囲気を作るよう心がけていますので、最初は苦手意識の強かった人も、回を重ねると自分から進んで発言できるようになっていきます。

国にこだわらず、ヨーロッパの近現代史に興味のある方の参加をお待ちしています。

上級生によるゼミ紹介

桑名ゼミの風景その2

ゼミ旅行

2019年9月のゼミ旅行では、徳島県の大塚国際美術館と鳴門市ドイツ館を訪問し、ヨーロッパ美術の歴史に親しむとともに、日本で初めてベートーヴェンの第九交響曲を演奏した、ドイツ人捕虜たちの生活についても学びました。

大塚国際美術館
鳴門市ドイツ館

聖心祭

2019年10月の聖心祭では、ドイツとオーストリアのグループに分かれて研究発表と展示を行いました。

ドイツの文化についてパワーポイントで発表
ハプスブルク家の歴史と家系の展示

鈴木周太郎ゼミ(アメリカ合衆国史ゼミ)

このゼミでは、アメリカ合衆国の歴史において受容されてきた様々な文化表象(映像作品、歴史記述、小説、絵画、音楽など)が、アメリカ人という集合意識にどのような影響を及ぼしてきたのかについて考えます。アメリカ人というアイデンティティは、アメリカ合衆国の誕生と発展の歴史を考えると、実に不確かであいまいなものであることがわかります。しかし同時に、彼らのアメリカへの帰属意識は大変強いものだとも言われています。ゼミではテキストをじっくりと読み込むことはもちろん、様々な視聴覚資料を用いて「アメリカ(人)とは何か」について考えていきます。

まずは現代アメリカの特徴的な8つの博物館(全米日系アメリカ人博物館、ナショナル9.11博物館、戦艦アリゾナ号メモリアルなど)について検討したテキストを読んでいます。その過程で学生は自らの研究テーマを絞り込み、それぞれのプロジェクトを進めていきます。歴史学のゼミですから史資料の適切な読み方、論文での用い方について特にしっかりと身につけていきます。

上級生からのメッセージ


世界史コース 卒業論文リスト

アジア関係

2018年度 >>>続きを見る

  • 朝鮮の妓生 ―官妓から時代の寵児へ―(2018)
  • 近代中国における苦力貿易 ―人身売買と国際移動―(2018)
  • 始皇帝陵の構造と出土品から見る始皇帝の人物像と死生観(2018)
  • 中国の陰宅・陽宅にみる風水思想(2018)
  • 古代オリエントの国際関係とヒッタイト(2018)

2017年度 >>>続きを見る

  • 中国における喫茶文化の広まり(2017)
  • 明清宦官の成功と代償(2017)
  • 1975年までのシアヌークとポル・ポト(2017)
  • モハンマド・レザーシャーの農地改革とイラン農村・社会の変化(2017)

ヨーロッパ関係

2018年度 >>>続きを見る

  • ハンガリー三分割 ―オスマン帝国とハプスブルク帝国の狭間で―(2018)
  • ナチスに抵抗した女性たち(2018)
  • ヴィクトリア朝期におけるガヴァネス問題とその解決策(2018)

2017年度 >>>続きを見る

  • ヤン・カルスキとワルシャワゲットー(2017)
  • チェコの民族運動について ―オーストリア・スラヴ主義を中心に―(2017)
  • 日露戦争から見る日本・ポーランド関係(2017)
  • 14世紀ヴェネツィアにおける女性の結婚 ―嫁資の問題を中心として―(2017)
  • 世紀末ウィーンの芸術改革運動 ―分離派を中心に―(2017)
  • ハプスブルク家の貴賎結婚について(2017)
  • マリー・アントワネットのファッションにみる18世紀末の美的感覚の変化(2017)
  • ナチス・ドイツの宣伝戦略 ―ゲッベルスを中心に―(2017)
  • 第二次世界大戦末期及び戦後のドイツ人難民について(2017)

アメリカ関係

日本・オーストリア・ハンガリー国交樹立150周年記念イベント「ヨーロッパ王室の女性たち」

2019年11月16日(土)にマリアンホールで、日本とオーストリア、ハンガリー両国との国交樹立150周年を記念して、講演会とコンサートが開催されました。

ティモシー・スナイダー教授 講演会 「ブラザーランド-諸国民の起源-」

2017年 1月13日(金)に、宮代ホールで、イェール大学歴史学部ティモシー・スナイダー教授の講演会が開催されました。

史学科世界史コース 印出ゼミ(ヨーロッパ中世史)
学外研修(東京都庭園美術館「メディチ家の至宝 ルネサンスのジュエリーと名画」展)

2016年6月23日、史学科世界史コース 印出ゼミ(ヨーロッパ中世史)の学外研修として、目黒の東京都庭園美術館で開かれている 「メディチ家の至宝 ルネサンスのジュエリーと名画」展を見学しました。事前にルネサンス期イタリア社会のジュエリーの役割について学んだ後、1時間20分程度の時間をかけて見学しました。なお、会場の庭園美術館は1930年代アールデコ建築の傑作として国の重要文化財に指定されています。

史学科世界史コース 印出ゼミ(ヨーロッパ中世史)
学年打ち上げ・卒業生追いコン(東京ディズニーシー)

史学科印出先生のゼミ(世界史演習 Ⅱ,Ⅲ-2・ヨーロッパ中世史専攻ゼミ)で、学年の打ち上げと卒業生の追いコンをかねて、ディズニーシーを訪れました。ヨーロッパの歴史的な町並みを再現した箇所の見学はとくに興味深いものでした。またこのゼミの卒業生で、現在オリエンタルランドに勤務しておられる先輩にもお会いし、色々と有益なお話をうかがうことができました。

ウィーン大学教授講演会およびソプラノコンサート

2015年6月28日、聖心女子大学マリアンホールにて、ウィーン大学オリヴァー・ラートコルプ教授による講演会、およびウィーン国立歌劇場歌手リディア・ラートコルプさんによるソプラノコンサートが開催されました。
[講演会主催:JSPS科研費・基盤研究(B)「異文化交流と近代外交の変容」(代表:桑名映子)、コンサート後援:オーストリア大使館]

初風緑先生(元宝塚歌劇団)による演技指導風景

2015年度の「ヨーロッパ現代史I」では、学生が歴史上の人物の役を演ずることで歴史に関する理解を深める「ロール・プレイング」の手法を取り入れた授業を行いました。演技指導については、宝塚歌劇団のご出身で、指導者としても長い経験をお持ちの初風緑先生にご担当いただき、学生たちにとってたいへん貴重な機会となりました。