旧ハプスブルク帝国外務省(ウィーン、バルハウス広場)
本研究は「文化」および「異文化交流」を軸として、近代以降の日本とヨーロッパを中心とする外交関係が、時代に応じてどのような変化を遂げてきたのかを明らかにしようとする試みである。
一口に「文化」といっても、クラシック音楽のようないわゆる「ハイ・カルチャー」から漫画、アニメのような「ポップ・カルチャー」まで、その内容は千差万別である。さらに音楽や美術、文学といった伝統的文化活動の領域だけでなく、風俗や社会習慣まで「文化」に含めて考える解釈もあれば、政治と経済以外の領域をひとくくりに「文化」と呼ぶこともある。
本研究では、近年の国際関係研究における「文化」概念の用法にならい、「文化」を伝統的な「ハイ・カルチャー」に限定することなく、人類学的文化概念をも包摂した、幅広い人間活動の領域として理解する。
ジョゼフ・ナイは1980年代以来その著作の中で、軍事力や経済力のような「ハード・パワー」に対し、強制によらず価値観や文化的志向の輸出による影響力拡大をめざす「ソフト・パワー」の重要性を説いてきた。この考え方は実際の外交政策にも応用され、文化面の広報活動やイメージ形成に力を入れる「パブリック・ディプロマシー」は、アメリカ合衆国のみならずEU諸国や中国・日本を含むアジア地域においても、対外政策の重要な柱となりつつある。
こうした中、外交の歴史的分析においても、伝統的な理解の再検討をめざす動きが登場したことは決して偶然ではない。「ニュー・ディプロマティック・ヒストリー」と呼ばれるこの新しい潮流は、外交官の私的な関心や交友関係、メディアの影響力など、従来の外交史研究の枠にはおさまりきれない「周縁的」領域の重要性に着目する。
伝統的な外交史研究の視点からすれば、外交とは国家間の利害を調整するために各国政府が行う交渉であり、交渉の当事者となる外交官は国家利害の単なる代弁者にすぎない。それに対し、「ニュー・ディプロマティック・ヒストリー」は外交担当者を、本国の指示を機械的に実行する道具のような存在ではなく、それぞれの信念にしたがい行動する主体性ある個人ととらえ、公式の外交活動の枠外における彼らの活動が、現実の外交関係にも大きな影響を与えていたと主張する。
第一次世界大戦をへて「新外交」の時代に入ると、外交の主要な担い手が個人から組織へと転換し、国民を対象とする文化的宣伝工作やプロパガンダ活動にも重点が置かれるようになった。その一方で、政治的に中立な国際文化交流の必要性が認識され、自国の文化を外国に紹介するための政府機関が設立されるようになったのもこの時期である。こうした活動は第二次大戦後ますます活発化し、「文化外交(カルチュラル・ディプロマシー)」、「パブリック・ディプロマシー」、「クルトゥーア・ポリティーク」等と呼ばれ注目を集めている。
近年の国際政治、そして外交研究におけるこうした転換をふまえ、本研究は近代外交の文化的側面、とくに外交官、外務省および他の政府機関を主体とする異文化交流と「文化外交」に的を絞って国際比較を行う。
時代としては19世紀後半の「旧外交」期から戦間期の「新外交」期をへて、戦後における文化外交の発展までを扱う。対象とする国は日本、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ハプスブルク帝国の6カ国で、これらの国から当時「辺境」とみなされたアジアやアフリカ、ヨーロッパ周縁部やアメリカ大陸へ派遣された外交官の「異文化体験」を分析する。ただし戦後の「文化外交」や「パブリック・ディプロマシー」においては、個人よりも国家組織や団体が分析の中心となる。
文学と美術のような「ハイ・カルチャー」だけでなく、人々の価値観や生活様式までも含めた広義の「文化」は、現代国際政治を理解し、国家間の紛争を平和的解決へと導くための重要な鍵である。文化は国と国、人と人を隔てる壁にもなれば、結びつける絆ともなる。異質な文化どうしの出会いは対立を招くことも多いが、すぐれた文化的達成には、他の文化圏に属する人々をも惹きつけてやまない力があるからである。
グローバル化の進展、とりわけインターネットの普及とともに、情報の流れはかつてなく大量で迅速となった。異文化経験はもはや少数者の特権ではなく、一般国民の日常の一部である。日本を取り巻く国際環境が緊迫化の一途をたどっているのも、こうした状況と決して無関係ではない。異境の文化や社会と真摯に向き合い、誠実な対話を試みた外交官たち、そして文化外交の担当者たちの姿は、これからの日本が選択すべき道についても重要な示唆を含んでいる。